米津玄師のパプリカ聞いたらおばあちゃんの事思い出して涙が止まらなくなった。
米津玄師のパプリカ聞いたらおばあちゃんの事思い出して涙が止まらなくなった。

https://www.youtube.com/watch?v=s582L3gujnw
祖母の葬式があった。
実家に帰るといつも「おかえり、よお帰ってきてくれたなあ」と私を笑顔で迎えてくれた。
でも今は、もうない。
パプリカはとっても元気いっぱいの曲だと思う。でも私はこの曲で実家を、祖母を思い出した。
祖母は私の実家の隣に住んでいた。親が共働きだったこともあって小さい頃は祖母と一緒に過ごす事が多かった。
両親はよく喧嘩していた。ほとんど家にいなかったけれど、顔を合わせると口論が始まった。
出来が悪い私はよく怒られた。
「なんでそんなことも出来んのや。」「考えてから行動しろって言っとるやろ。」「これくらい出来て当たり前や。」
目を合わすと睨まれた。また怒られるんじゃないかと恐ろしくなって、そのうち目を合わすこともやめた。
私は両親の言うことを忠実に聞く「何か」になる必要を感じた。そして、それを求められていた。
けれど、無理だった。私は自分が何者か考えるようになった。
両親が望んだ人間になる必要がある。しかしそうすれば、私とは何なのか。私の意思はどこにあるのか。
それは私じゃなくてもいいのではないか。考えた結果、戦うことにした。
うまくやる。それが私の戦い方だった。
逃げるのは嫌だった。
祖母の家は違った。
夜になるとテレビから「ん〜え〜〜」「あ〜〜」と演歌が聞こえてきた。それを口ずさむ祖父の声。
まったりとした空気と開放感のある佇まいの家、畳の香り。
のんびりとした癒しの空間だった。戦いに疲れると私は祖父母の家で少し休んだ。
祖父の運転する車で週末3人で遠出をすることもあった。
山辺の田んぼによく3人で行った。
祖父の運転する農業用の車に揺られながら祖母と色々話をした。
戦いに負けて、それでも追い討ちをかけられて打ちひしがれていた時、私の代わりに祖母が戦ってくれたことがあった。
当たり前のように私を守ってくれたの時のこと、おばあちゃんは気づいていないと思うけど、とっても元気もらったんだよ。
いつも苦しい時、迷った時、私の背中を祖母が押してくれたように思う。
少し前、祖母が病気になって倒れた。
脳梗塞だった。
私が病院に駆けつけると祖母は涙目で「よおきてくれたなあ」と私に向かって言ってくれた。
自分が病気でうまく喋れないのに私のことを気遣ってくれて、私も涙がこぼれそうになった。
「うん、おばあちゃんも無事で良かった。」そう声を振り絞る事で精一杯だった。
祖母は半身麻痺になり寝たきりになった。今後悪くなることはあっても、よくなることはないと医者から言われた。
苦しそうな祖母に空元気な言葉をかける自分が虚しかった。
それから数ヶ月がすぎた頃、祖母が亡くなったと連絡があった。
通夜と葬式に出るため実家に帰省した。
帰るとあの懐かしい畳の香りがあった。仏壇のある部屋で祖母が箱に入れられて静かに横になっていた。
葬式の日は悲しみに浸っている暇もなく、慌ただしかった。
遺族の代表挨拶。父が言った一言で、息を潜めていた私の中の気持ちが頬を伝って床に一滴、また一滴と落ちていった。
「母はもうこの世にはいませんが、風になって私たちを暖かく見守ってくれていることだと思います。」
人前で涙を我慢出来るようになってもう随分と経った。怒鳴られても、けなされても、いじめられても閉ざした心には届かない。
父の言葉が響いたのかは分からない。でもその時ようやく分かった。今日お別れなんだって。
実家に帰ると、昔の感じはもうない。あの私が好きな空間はもうない。
それでも私の中にはちゃんといる。空っぽになったわけじゃなくて、ちゃんと私の中に、私が覚えている。
おばあちゃん。本当にありがとう。今まで本当にありがとう。
「夏が来る」
「影が立つ」
「あなたに会いたい」
この曲を聞くと思い出します。あの頃のことを。祖母のことを。