【アニメ】芸術とは、美しさとは、その奥深さを「へうげもの」が教えてくれた気がした。

ライフ

【アニメ】芸術とは、美しさとは、その奥深さを「へうげもの」が教えてくれた気がした。

「へうげもの」とはひょうげる、つまり、ひょうけた人という意味がある。この作品の主人公、古田織部がまさにそれであった。

この作品は日本の戦国時代を駆け抜けた武将、古田織部の物語ではあるものの、その歴史解釈が絶妙でかなりしっくり来た。

戦国時代一番の謎と言ってもいい、明智光秀がなぜ本能寺で天下の織田信長を討つ気になったのか、信長の遺体はなぜ出てこなかったのか、織田打倒後、秀吉にすぐに討たれて亡くなってしまう謎なども、奇妙なくらい自然にまとまっていた。

この物語が面白いのは、戦国時代にあって、「武」ではなく「美」に重きが置かれているところと言っていい。

侘び寂びという言葉がある。簡素な日本らしい美しさの代名詞のように使われることがあるが、物語の中では「詫び数寄」と言っていた。

「詫び」とは派手で過度に飾り付けをした美しさではなく、質素で簡素な趣の中から美を見出す視点や感覚をいうらしい。

そして「数寄」とは趣味のいいとか、センスのいいとか、美に通じた知識人だとか、そう言った意味が込められているような気がする。

作中に登場する戦国武将はどれも味があって面白い。大河ドラマなんかでは、民のため、領民のため、家のため、そんなところに重きを置かれたお涙頂戴ものが多いが、それと比べるとこの作品はあまりにひょうけている。

ひょうけていると言っては少し、けなしているように聞こえるかもしれないが、そんなことはなくて、力が抜けて見ていて面白い。面白いのだ。

美に重きが置かれている作品なので、大名物と言われる茶入れや茶器が多く登場する。そういう骨董やら名物品が好きならすごく面白いと思う。

見ていて興味深かったのが、当時のお宝といえばそれらになってくるというところなのだが、時の戦国武将が茶器や茶入れに命をかけたり、また断腸の思いで手放す様は心が動いた。

物のために命を晒すなんてバカだなと言ってしまえばそれまでなのだけれど、そこがまた人間らしいのだ。

「へうげもの」には千利休が登場する。私はこの作品を見るまではここまで業の深いお人だとは思っていなかった。もちろん、フィクションではあるんだけれど、それでもイメージは変わった。

彼、千利休が古田織部に言った言葉の多くは辛辣で苦しいものが多いのだけれど、それだけに真理というか、美とは、詫び数寄とは何かを一心に教えようとしてくれている気がした。

当の本人はそれでいて、ひょうきんなところがあるので、利休や他の武将とのやり取りや対比が面白く、笑わせてもらった。

主人公、古田織部は普通のおっさんなので、ビジュアル的にはアニメ顔という訳ではない。特に、ひょうきんモードに入った古織さんは顔芸としか言いようのない顔をする。

一番私が面白かったエピソードは古織が満を辞しての屋敷建設のところだ。いいアイデアが思い浮かばず、へちかんを尋ねに行く話。そして屋敷完成と利休へのお披露目。

古織氏の「数寄者」ぶりを存分に発揮してくれるのだが、どう見てもボロい家にしかこれが見えないのだ。

これが町衆から見れば、とても詫びていて趣があると評しているのだ。不思議だ。流行とはここまで人の見る目を変える力があると感心したと同時に、非常に可笑しくて笑ってしまった。

古織氏の屋敷なのだが、残念ながら千利休に褒められることはなかった。古織はがっかりするのだけれど、屋敷の襖絵を披露すると利休の反応も変わった。あの襖絵は本当に笑った。ありがとう古織さん。

この作品では千利休の影響力のすごさが伝わってきた。実際のところどうだったかは分からないけれど、やっぱりしっくり来てしまう。

美しさとは何かを改めて見つめ直すきっかけをくれた作品であり、また戦国時代の解釈に新たな渋みをくれた作品でもある。

オープニング曲は結局最後まで好きにはなれず仕舞いだったが、それも私がまだ未熟だったからなのかもしれない。本当にそういう視点をくれる作品なのだ。

機会があればぜひ一度見てみてほしい。芸術や美しさにもし迷いが出てきたと感じているなら、この作品がもしかしたらきっかけをくれるかもしれない。

二度みたけれど、味のある渋い作品だなと思うと同時に、信長様がお笑いになるのが本当によくわかる作品だなと、あのひょうけた顔を思い出しまた思うのである。