「トラウマ」幼い頃犬に追いかけ回されて犬が怖くなってしまった話。

2020年3月28日ライフ

「トラウマ」幼い頃犬に追いかけ回されて犬が怖くなってしまった話。

秋の空

私の家庭は両親共働きで親はほとんど家にいなかった。私が幼かった頃は、よく祖母の家で過ごした。

祖母は働くのが好きで特に田んぼと畑を愛していた。実家近くの田んぼと畑へ通う祖母に私は毎日のようについていった。

あの日は近くに暮らす4つ上の親戚の女の子も一緒だった。彼女と私は祖母と一緒に田んぼと畑のある場所へ向かった。

田んぼと畑は木々が鬱蒼と生い茂る2級河川近くにあり、田んぼと畑の周りは害獣対策用にトタン板で柵が築かれていた。

私は祖母が畑仕事をしている間、近くを流れる小川で魚や貝を探したり、草むらに潜む虫を追いかけ回した。

あの日は親戚の子も一緒だったので祖母の邪魔をしないよう離れて遊んだ。追いかけっこをしたり近くの雑草をむしりながら談笑した。彼女はとにかくよく笑った。

彼女と談笑していた時、人通りの極めて少ないあの場所に男が歩いて来た。男は30代くらいで大きな犬を連れて農道を歩いていた。

私は男と男が連れている犬をじっと見つめた。恐怖心。警戒心。好奇心。これらが混じり合った複雑な気持ちだった。

男が連れている犬は大きかった。フサフサの毛と尻尾を振りながらのそのそと歩いていた。

男は農道をゆっくりと歩きながら、近くの山林へと消えていった。私は彼らが見えなくなるまでじっとその姿を見つめた。

男と犬が山林へと消えてからいくらか時間が経った。陽も傾きかけ山の麓は薄暗くなっていた。

祖母は相変わらず体をくの字に曲げ畑で草をむしったり、野菜を収穫したり色々忙しくしていた。私は親戚の女の子の側に座り、彼女が雑に草むしりをする姿を眺めていた。

その時だった。山林へと消えていったはずの男と犬が戻って来た。

私は警戒心からか男と犬をまたじっと見つめた。私と彼らの距離は50mはあったように思う。

前を向いて歩いていた犬が急に足を止めた。そしてこちらを振り返り、私を見た。犬と目があった。

犬はじっと私を見つめ動こうとしない。男は動かない犬を動かそうとリードを引っ張った。犬は男の誘導により再び前を向いて歩き出した。

男と犬が遠ざかる。難は去ったかのように見えた。その時だった。まっすぐ歩いていた犬が突如として急反転した。驚いたのか飼い主の男はリードを離してしまっていた。

全力で走る犬。犬を追いかけ走る男。

私はその光景にあっけに取られた。犬が飼い主から逃げ出し、飼い主が全力でそれを追いかけていたからだ。

私は隣で草むしりをしていた親戚の女の子をつついてそれを知らせた。私は走る犬を見つめながら、犬はどこへ向かうのだろうと不思議に思った。あんなに一生懸命に走ってどこへ行きたいのだろうと。

その矢先のことだ。害獣対策用に組まれた1mはあるトタン板を飛び越えこちらにあの犬が向かってきた。

絶対に超えられないと思っていた壁をジャンプで突破し、毛むくじゃらの怪物が全力で突進してきたのだ。全力でだ。

私は犬の目的が何なのか全くわからなかった。けれどこのままではまずいということだけは瞬時に理解した。危険が迫っていた。

犬の進路から外れようと稲刈りの終わった田んぼに私は勢いよく飛び出した。親戚の子も心配だったけど、私が走り出せば何かが起きる気がした。とにかくこのまま待つのだけはまずい気がした。

私は犬の進路を確認しようと後ろを振り返った。すると犬は私の方へ向かって走ってきた。私はどうしていいか分からず急に怖くなった。私は祖母を呼んだ。

「おばあぁちゃゃん!!」「おばあぁちゃゃん!!」しかし祖母からの応答はなかった。どうしたことだ。応答がない。私は必死に叫ぶ。叫ぶしかないのだ。

「おばあぁちゃゃん!!」「おばあぁちゃゃん!!」けれど応答はなかった。祖母は畑いじりに夢中でこちらの声は全く届かなかった。

私は頭を必死に回した。助けはない。しかしこのままではいずれ犬にやられてしまうだろう。私はダメ元で親戚の女の子の名前を呼んだ。

しかしこちらも返答はなかった。再び名前を呼ぶ。おかしい。返答がない。近くにいたはずだが何かあったのか。

そう思って振り返ると彼女はこちらを指差し笑っていた。彼女は犬に追いかけられる私を見て腹を抱えて笑っていた。

その時何かの糸がプツンと切れた。困っている私を笑い者にしていたからだ。一瞬でも心配した私が馬鹿だった。私はこの厄災を彼女に押し付けることに決めた。

道が決まり、私は彼女に向かって一直線に走り出した。男の走りだった。

犬が迫る。彼女の笑いが消えた。私は彼女のいる場所で走るのをやめ彼女の後ろに素早く身を隠し犬を確認した。見ると犬は走るのをやめていた。けれど少し様子がおかしい。

こちらに飛びかかる様子もなければ噛みつく様子もない。舌を出し尻尾を振り、私に飛びかかりたそうにこちらを見つめていた。

彼女の周りを私はぐるぐる回った。すると犬もつられてぐるぐる回った。もうどうしていいのかわけが分からなくなった私は犬を置き去りにするため再び走り出した。

災厄をただ振り払うために。稲刈りの終わった田んぼに私は再び勢いよく飛び出した。

私は犬を確認するため再び後ろを振り返った。しかし、そう、犬はまた私の方へ突進して来た。悲しいかな、これがお約束というやつなのだ。当時の私は本当にどうしてこうなるのか分からなかった。

泣きたい気持ちを押し殺して私はまた祖母を呼んだ。「おばあぁちゃゃん!!」「おばあぁちゃゃん!!」しかし応答はない。まだ気がつかないのか、頼む、気づいてくれ。そう願いを込めて私は叫ぶ。叫ぶしかないのだ。

「おばあぁちゃゃん!!」「おばあぁちゃゃん!!」しかし祖母からの応答はない。くの字に曲がった祖母の背中を涙目で私は見つめた。

祖母はだめだ。諦めるしかない。しかしこのままでは犬から逃げられない。私はダメ元で親戚の女の子の名前を呼んだ。頼る者がいないとはこんなに不憫な気持ちになるのだと当時を思い返してもそう思う。

思った通り彼女から返答はなかった。それでも名前を呼ぶ。災厄を振り払うためなら細かいことなど気にしていてはダメなのだ。

彼女からの返答はなかった。だけど今度は心配はしていない。それに聞こえた。やまびこのようにあたりに響き渡る彼女の笑い声が。

目をやると彼女は腹を抱えて笑っていた。それを確認し自分のやることは決まった。涙も消えた。

私は祖母の元へ走りより、犬が追いかけてくることを伝えた。祖母は優しく、また力強くついておいでとばかりに農道の方へと歩き出した。

飼い主の男が走ってこちらに向かってきているのが見えた。祖母は犬を飼い主に引き渡し何事もなかったかのように畑に戻っていった。

帰り際、犬が飼い主から逃れようと何度も急反転を繰り返し暴れているのが見えた。

この日以来、私は飼い犬を信用しなくなった。そして本当にピンチの状況になったとしても自分で切り開かないといけないということを、幼い心に刻み付けられた。そして足もあれ以来少し早くなった。